第一話                         帰ってきやがった

 

 ――今日の天気は一段といいな。

 瀧川悟郎はそんなことを考えながら、ひび割れたコンクリートの道を、都心の方へ歩いていた。

 ここは大災害後に復興した、日本の最初の新都市、東京都である。

「半年ぶりか。ここの連中も何か変わってるかな」

 悟郎は鼻歌混じりに、断層のようにずれた道路を、ひょいと飛び越えた。

 

「菊井沢さん、今日悟郎が帰ってくるらしいですね」

「そうだな」

「俺何も聞いてませんでしたよ」

「そうだったか? まあ、今言ったじゃないか」

「……そうですね」

 二人の男が、部屋の中でそんな会話をしていた。

 片方の男、菊井沢と呼ばれた男は、年は四十くらいといったところだった。

 目じりや口元に、うっすらと皺が見えることから、それほど間違ってはいないはずであるが、しかし、どこかもっと若々しい感じもする。他の大人のように、老人臭さというか、頑固さや気だるさを感じさせるものが、全然無いのである。

 むしろ凛としていて、ニ、三十代と言われても頷ける、そんな顔つきである。

 さてもう一人の男。

 この男が、目を引く。

 何が目立つと言うと、まずその身長である。百九十センチは超えている。二メートルあるだろうか。そして、その長身にまとっているのは、筋骨隆々の肉体。

 シャツの袖を肘の先くらいまで捲り上げているが、その口が破れんばかりに筋肉がはみ出している。

 だが、声は穏やかな声だった。

 顔も、このテの男に多い、いかめしい面ではなく、愛嬌のある顔をしている。笑顔が似合う顔であった。

「今日の何時です?」

「昼過ぎには本部に顔を出すと言っていたが、あいつのことだから気分次第で変わるかも知れないな」

「ですね。まだ少し間があるな……昼飯でも食って待ってますか?」

「ああ、そうしよう」

「じゃあ俺、食堂に通信入れておきます」

「ああ」

「ああ、そうだ久我」

 菊井沢が呼び止めた。巨男は久我というようだ。

「はい?」

「瀧川の分も注文しといてやれ」

「え、先に注文しておくんですか? どうして?」

「勘だ」

「了解しました」

 

 久我は頃合を見計らって、食堂へ昼食を取りに行った。

 炒飯一つ、焼きそば大盛り一つ、カツ丼一つ。

「はい、どうぞ」

「どうも」

 久我はお盆を受け取ると、器が三つ載っているお盆をひょいと持ち上げ、菊井沢の待つ部長室まで運ぶ。

 長い廊下の、突き当たりの右。此処が部長室である。

「菊井沢さん、持って来ましたよ」

「おお、すまんな。そこへ置いてくれ」

「はい」

「ほ〜お、シゲは今日も焼きそば大盛りか〜」

 背後から声が聞こえる。

「ああ、好きだからな――ん?」

 久我が背後を振り返る。

 そこには悪戯小僧のような笑みを浮かべた男が一人。

「よう」

「悟郎」

「へへっ、帰ってきたぜ」

「面倒臭ぇのが帰ってきやがったな」

「何だとこのやろー」

 憎まれ口の言い合い。

 二人の表情は明るい。

「瀧川、元気そうだな」

 菊井沢が顎に手を置いて話し掛けた。

「おかげさんで。半年振りですね、部長」

 この男、上司の前だというのに、まるで友人に話し掛けるような口調である。

「悟郎、随分早かったじゃないか。昼は過ぎるって言ってたらしいじゃないか」

 と久我。

「なんだよ、早くシゲの顔が見たくて帰ってきたんじゃねーか」

「馬鹿言え。あと、シゲは止めろ、俺は重蔵(じゅうぞう)だ」

「だから重蔵の重でシゲじゃねえか」

「……まあいい。とにかく昼飯だ。食え」

 久我が、悟郎の前に盆を差し出した。

「お! これはもしや半年振りの、食堂のおばちゃんの作るカツ丼!」

「そうだ」

「サンキュー、大好物なんだよ、カツ丼」

「知ってるよそんくらい」

 二人のやり取りを見ていた菊井沢が、悟郎の前に歩いてきた。

「とにかく瀧川、よく帰ってきたな」

 菊井沢が悟郎の前に手を差し出した。

「どうも。これからもここ、対亜人種特別機動隊で宜しくお願いします、菊井沢部長」

 悟郎が握り返した。

 

 四十六年前、地球は原因不明の大地震に襲われた。

 大陸のプレートは捻じ曲がり、地は裂け、海が荒れた。

 のみならず、様々な異常気象が相次いだ。

 人はこれを、大災害と呼んだ。

 大災害により世界の、日本を含む先進国の文明は、粉々に打ち砕かれた。

 建物は壊れ、社会は崩壊し、人が死んだ。

 日本は法もなく、秩序もなく、ただの屍と瓦礫の山と化してしまった。

 だがその後四十六年、日本は彼の大震災の時のように、想像を越える速さで復興を進める。

 社会制度が何とか復旧し、人々はゆっくりと、ゆっくりとではあるが、もとのような生活を取り戻し始めていた。しかし未だ、復興が進んでいるのは首都圏だけであった。

 無論、国同士の貿易はほぼ途絶えたままであり、世界の状況を正確に知る者は、いない。

 それでも人々は、最低限ではあるが、人間らしい生活を送ることに、幸福を覚えた。

 今は、そういう黄昏の時代であった。

 しかし、以前と違う点が、一つあった。

 亜人種の出現である。

 この原因については諸説あるが、その中で有力なものとしては、大災害前に存在した、生物工学の研究所の実験台が、いくつかの世代を渡って、今こうして現れているのだという説と、もう一つ、原子力発電所の崩壊による放射能汚染によって生まれた、いわば突然変異種だというものである。

 どちらも信憑性のある説で、今のところ、このどちらもが複雑に絡み合って今の状況に至っているというのが、学者達の見解らしい。

 亜人種――

 人に姿かたちが似ている事から、そう呼ばれる。

 少しずつ人と違うのは、おそらく、DNAの中に記録されている、いわば進化の過程で捨ててきた、あらゆる生物の情報が混ざり合って呼び戻されたからだと言われている。

 このことにも関係し、亜人は、普通の人間よりも肉体的能力がはるかに高いケースが多い。がしかし、同時に、脳が汚染されてしまっているものも多く、不安定な生物でもある。

 そして、その亜人による犯罪が年々増えてきている。肉体的に人間を上回る亜人が起こす犯罪は、人間の力では阻止することが出来ないことが多い。

そこで設立されたのがこの対亜人種特別機動隊である。

 凶暴化した亜人の捕獲や、犯罪を犯した亜人を取り押さえるのが目的であるこの組織の人間は皆、日々己を鍛え、装備を整えている、亜人に対抗するためのスペシャリストなのである。

 

「悟郎、お前の私物はいじっていないが、少し机の配置換えをしてな」

「ふうん」

「お前はあそこだ」

「了解……あれ、隊長は?」

 悟郎は鞄をくるくる回しながら、久我の指差した方向を見た。

「あそこって、前田隊長のデスクだった場所じゃないか」

「ああ、そうだ」

「そうだって……前田のおっちゃんは?」

「この第三部隊には居ない」

「へえ。昇進か?」

「ああ。前田さんは確か統括本部で、ほら、菊井沢さんの下で働くはずだ」

「へえ〜、っておい、じゃあ第三部隊はどうするんだよ、隊長も無しで」

 久我がくすりと笑った。

「気になるか」

「何だよ、早く言えよ」

 久我はまだ笑っている。

「何だよおい、気持ち悪いな」

「ああ、悪い悪い」

「いいから、言え」

 

「おい、今なんて言った?」

「聞こえなかったのか、悟郎、お前がこの第三部隊隊長だと言ったんだ」

「まじかよ」

「まじだ」

「面倒臭ぇえええ!」

「面倒臭くても仕事だ」

「馬鹿言え。六人も隊員の世話できるかよ」

「まあ素直に頑張ることだな。菊井沢さんの命令だ」

「ちくしょおー、あのおっさんめ」

 悟郎が椅子にどかっと倒れこんだ瞬間、通信の呼び出し音が鳴った。

「こちら第三部隊! どうした?」

 悟郎が返事をする。

「すっかりその気になってるじゃないか」

「うるせえシゲ、通信だ」

「はいはい」

「……ああ、わかった……目標は一人だな? ……よし、すぐ向かう」

 悟郎が通信を切る。

「どうした、悟郎」

 振り返る。

「久我重蔵、残り五人の隊員をすぐ装甲車に集めろ! W-22地区で事件だ」

「おう」

 久我が全員の呼び出しコールにチャンネルした。

「対亜人種特別機動隊、第三部隊隊員全員に告ぐ。出動だ」

 久我が部屋を出て行った。

 悟郎が後に続いて部屋を出る。

 扉のところで、ゆっくりと振り返った。

「九州なんて暇なところから帰ってきて正解だったぜ」

 

「スリリングな日常が、帰ってきやがった」