第二話                         少女

 

「悟郎、事件の内容は」

「簡単に説明すると、こうだ。十三分前、郊外の暗く細い路地裏で、あるホームレス……まあ最近ホームレスなんか珍しく無いが……そのホームレスが、路地内で何かを喰っている、人間大の生物を発見。亜人ではないかと、近くの公衆端末から緊急回線で、即通報したそうだ」

「うむ、それで?」

「その後、ホームレスの存在に気づいた謎の生物は、路地の地面から跳躍、建物の屋根の上を逃走。その生物が喰っていたものは、ただの飲食店の残り物。と、ここまではよくある話だが、ここからが問題だ。先ほどの通信、つまり二分前だが、先ほどと同じものと思われる生物が、都内で発見された。これは巡回中の警察官からの連絡だ」

「それで俺達が呼ばれた」

「それだけじゃない。その警察官、通信中に、その生物に襲われ即死したそうだ。警察官の連絡と情報により、その生物が凶暴化した亜人種であることが判明。人間を殺害した、凶暴な亜人の捕獲もしくは抹殺。それが任務だ。あまり気分の良い話じゃねぇな」

「了解した。現場へ急ごう」

 久我がアクセルを踏み込む。

 車は、都内で数本しか通っていない、整備された道を走っている。W-22地区という場所には少し遠回りだが、車での移動は、他の道で行くのは無理であった。まだ都内でも、道路の整備が整っていない場所が多いのである。

 車の、地面を蹴る振動が心地良い。

「あ、そうそう」

 思い出したように、悟郎が車の後部に振り返った。

 そこには、若い五人の機動隊員が武器を構えていた。

 悟郎は腕時計の文字盤を確認した。午後四時三十二分。

「えー、俺が今日からこの第三部隊の指揮を執ることになった瀧川だ。現場まで後四分。質問のある者はいるか」

 手は挙がらない。

「質問は無しと。日頃からよく訓練しているお前達のことだから、皆腕は一流だと思っている。正直俺は何で隊長に選ばれたか判らないが、とにかく仲良くやろうぜ。さてと、何か言いたい事があるやつは?」

 口調がだんだんほぐれてきた。地が出てきているのだ。

「はい」

 挙手。その主は、この中でも一番若そうな男だった。

「ん? 何だ?」

「自分は、瀧川隊長が本日本部の方に戻ってこられると聞いておりましたので、この第三部隊に志願しました、光枝です。宜しくお願いします」

「ほう、嬉しいねえ。でも、そんなに硬くなるなよ。俺もシゲ……久我副隊長に対しても、もっと和気藹々と行こうぜ」

「はい、ありがとうございます」

「うん。他にいるか?」

「はい」

 光枝の登場で、他の隊員も喋りやすくなったようである。

「自分は、後藤です。自分は、瀧川隊長が隊長に選ばれたのは、ひとえにその実力を買われたのだと思います。瀧川隊長の噂は、いくつも聞いておりますが、どれも感激としか言いようがありません。自分は、隊長の隊に入隊できて、光栄です」

「おう、サンキュー」

 出動前より、空気が和んでいる。

「よし。じゃあ、瀧川隊長指揮する、第三部隊、初任務と行こう」

 車が止まる。

 悟郎の腕時計の針は、午後四時三十六分を指していた。

 

「よし、ここがW-22地区だ。ここからは陣形を取り、攻撃態勢を取りながら徒歩で進んでいく。……よし、出るぞ」

 特殊装備に身を固めた六人が、装甲車から一斉に飛び出て、瞬時に瓦礫の影に隠れる。

 復旧の進んでいないこの地区では、未だに瓦礫や家屋の残骸が、あちらこちらに山となっていた。

風が吹くと、コンクリートの砂が舞い散る。

眼前に広がるのは、ただただガラス、コンクリート、砂の山である。。

無機的な光景の中で、乾燥した地面に枯れかけている植物が根をはっているのが、よけいに荒んで見える。

周囲の色はすべてかすれた絵の具で塗ったようであった。

 悟郎は無線機のマイクを頬に取り付け、通信をONにした。

「先ほどの事件現場がここから約一キロメートルって所だ。奴の先の発見からの経路及び速度をたどると、この辺りに網を張れば、発見できるはずだ。各自、気をゆるめるな」

「了解」

 一斉の返事。

 数十秒の後、それは聞こえた。

 女の悲鳴。

「っ!!」

 全員が身を固くした。いや、全員では無い、悟郎と久我、この二人は、瓦礫から頭を多めに出して、すぐに周りの状況を確認した。

「悟郎、ターゲットを発見した。南西の方向に約二百メートル。人間が襲われているぞ」

「了解、俺がすぐ行く! 全員、攻撃態勢のまま、奴を囲め!」

 悟郎が疾走った。

 速い。

イヤーホンに点灯しているライトが、ぐにゃりと線のように伸びたように見える。

「は、速い」

 無線から、光枝の声がする。

「悟郎は百メートル九秒ジャストという記録を、何年も落とすことなく保っている。俺に言わせりゃ、あいつはスピードだけはバケモンさ」

 と久我。

「お前らぼさっとしてないで援護しろよ」

 悟郎の弾んだ声が飛んでくる。

 走りながら通信機に叫んでいるのだ。

「了解」

 全員が動いた。

 

 襲われているのは少女だった。

 年は見た目で十五、六歳。

 少女は走った。迫り来る恐怖から逃げて、逃げて。

脚と首からは血を流していた。真っ赤な血が、走るリズムに合わせて、地面へとしたたり落ちる。

「はあっ、はあっ、助けて」

 少女の悲痛な願いをかき消すかのように、亜人は距離を縮めてくる。

 徐々に、徐々に。亜人と少女の間が縮まってくる。

 それは、少女の恐怖の大きさを表し、また、彼女に残された時間を意味した。

 泣きたかった。怖かった。

 それでも泣かなかったのは、泣いたところで、それで、自分が生き延びることはできないと、本能的にわかっていたからだ。だから、走った。

 ざっ。

 突然、足音が聞こえ、背後の空気が動いた。

 少女が疑問に思い振り返ると、そこには、自分と亜人の間に立ちはだかる男の影があった。

「大丈夫か」

 少女はわけがわからなかったが、とにかく頷いた。

「俺は対亜人種特別機動隊の者だ。お前を助けに来た」

 少女は泣きたくなった。今まで、生きるために泣くのを押さえていた栓が、外れてしまったように。

 

「安心しろ。俺が来たからには、絶対お前を助けてやる」

 悟郎は少女に笑顔を向け、そして亜人を振り返った。

 悟郎は驚きの色を隠せなかった。

 その亜人が、今まで見たどの亜人よりも、人間そっくりだったのである。

 発狂し、白目を剥いて牙を剥き出しにしていた。

 しかし、美しかった。人間に、近かったのだ。

 今までの亜人種のような、獣毛が、こいつには無い。

 縦に開いた瞳孔が。頭からせり出た角が。猫のような鬚が。猛禽類のような爪が、こいつには無いのだ。

 まるで人間……。

 がしかし、牙はあった。鋭い牙。これがこの亜人種の武器なのだろうか。だとしたら、ずいぶんと弱そうだ。

「グオォゥゥォオ」

 亜人が唸った。

「とにかく、人を襲った、理性を無くした亜人は始末しなきゃならない。恨むな」

 悟郎が身構えた。

 特殊装備に身を固めてはいるが、素手である。

「グオァッ」

 亜人が跳ねた。

 空気を切り裂き、悟郎のもとへ空中を一直線に飛んでくる。

 ぎいぃぃぃぃん、と擦れるような音を立てて、亜人が進行方向左側へ逸らされた。

 悟郎が腕の防具で角度をつけて、亜人の攻撃を逸らしたのだ。

「速い……っ」

 息をする間も無く、亜人の右脚が空気を薙いだ。

 悟郎の左頬を掠めた脚が、すぐに二段目の蹴りに変わり、悟郎の腹部を直撃する。

「ぐはあっ」

 起き上がりざま、さらに顎にパンチを喰らう。

 悟郎は後方の壁に叩きつけられた。

「つ、強いなんてもんじゃないぞ」

 拳が、脚が、悟郎に向かって飛んでくる。

 右。

 左。

 右。

 右。

 腹部。

 左足。

 顔。

 ――やばい。防ぐのがやっとだ。

 悟郎は焦りながら、ただひたすら亜人の攻撃を避ける。

「くそっ、喰らえっ」

 悟郎が肘の装置をカチリと作動させると、肘部にナイフが現れた。

 悟郎の肘が、亜人の左のわき腹を突き刺した。

「グウウォォッ」

 唸り声を上げて、亜人が後退る。

「この速さと言い、強さと言い、なんか資料で見たことあるな……」

 突然通信が入った。

「悟郎、大丈夫か! そいつの種族がわかったぞ、『狼血』だ」

 久我の声だ。

「狼血……あれか」

「気をつけろ」

「心配すんな。俺の本気を見せてやるよ」

 悟郎は口から流れる血を拭い、装備の背中から突き出ている、二十センチほどの棒を握った。

 そして一気に、引き抜く。

 銀色の、鋭い光が、暗くなった辺りに映える。

 刀だった。

 悟郎の手の中で、銀色に妖しく鋭く光る刀身が踊る。

 刀を構えて、言った。

「俺の本気を見せてやるよ」

 傍で倒れているだけの少女は、今までの悟郎と亜人の戦いを目にし、怯えきっていた。

 無理かもしれない。助けに来てくれたこの人が、死んでしまうかもしれない、と。

 が、彼女がそう思った次の瞬間、悟郎の姿が消えた。

 否、悟郎は消えたのではない。驚くべきスピードで、真っ直ぐ亜人に向かっていったのだ。

 亜人も飛び掛る。

 ここまでは、少女の目でも追えたが、ここから先は、どうなったかわからなかった。

 

 悟郎は全て最小限の動きで亜人の攻撃をかわす。そして、自分が打ち込むべき一撃のタイミングを体で感じ取る。が――

 無理か。

 速すぎる。

 ――俺でも追いつけないのかよ。

 その時、悟郎の視界に、一発の銃弾が止まった。

 あの時と同じだ。世界がゆっくりだ。

 ゆっくりと進む銃弾が、空気を切り裂き、渦を描きながら、亜人の右足へ向かって進む。

 あと四十センチ、二十センチ、十センチ、五センチ、二センチ、一センチ……

 来た。

 一閃。

 沈黙。

 

 数秒後、亜人は、まるで思い出したかのように、胸から斜めに、真っ二つに崩れ落ちた。

 ノイズとともに、通信が入った。

「ふう……。悟郎、大丈夫だったか?」

「シゲか。援護、サンキュー」

「おう」

 悟郎は、腰を落としている少女に振り返った。

 少女は一瞬びくっと震えて、その跡すぐに、呆けたような顔になった。

「助かったの……?」

 一番訊きたい疑問であった。

 悟郎は、倒れ、傷ついている少女の頭にぽんと手を乗せて、言った。

「ああ。安心しろ」

 少女は泣いた。

 

 本部へ変える途中、悟郎に異変が起こった。

「いってえええぇぇえっっ!」

 全員がびっくりして、顔を上げた。

「うるさいぞ、悟郎」

「う、うるせぇ……痛い」

「どうした。どこが痛いんだ」

 久我が、休んでいる悟郎へ近づいた。

 そしてぐっ、と胸を押す。

 悟郎の悲痛な叫び声が装甲車内に響いた。

 

「どうやら、骨折だな。俺の見たところ、右腕にひび。肋骨を数本骨折。それから、左足も痛めてるな」

「ちくしょう。冷静な顔で言いやがって。めちゃくちゃ痛いんだぞ」

「大丈夫ですか。隊長」

 光枝だ。

「ん? ああ、心配するな。大したこと無いから」

「じゃあ騒ぐな」

「うるせえシゲ」

「あ、あの……」

 車の後方で、座り込んでいた少女が、ゆっくりと立ち上がった。

「おいおい、無理するなって。あんなことがあったんだ。ゆっくりしとけ」

 悟郎の言葉には耳を貸さず、少女は悟郎に近づいてきた。

「あ、あの、助けて下さって、本当にありがとうございました。あなたがいなかったら、私、私……」

 少女は再び目に涙をためた。

「泣くなって。大丈夫、もう大丈夫だから」

 悟郎が額の汗を拭いながら、笑った。

「本当に、ありがとうございます」

「いいって。えっと……名前は?」

「あっ、紫藤……紫藤由香里です」

「いい名前だな。どっちで呼んだらいい? 紫藤か、由香里か」

「あ、じゃあ……」

 少女は俯いて、小さい声で言った。

「由香里って呼んでもらってもいいですか?」

「おう、じゃあそうするよ、由香里」

 悟郎はあの子供のような笑みを浮かべた。

 少女もつられて、微笑む。

「はいっ!」

 涙を拭うと、少女は、装甲車内に振り返り、全員に向かって頭を下げた。

「皆さんも、本当にありがとうございました」

 新人の隊員達は、どこか照れくさそうにしている。

 横から久我が声をかけた。

「第三部隊、初任務無事終了だな」

「無事じゃねえよ」

 全員が笑った。

 

 異変と言うのは、突然やってくるものなのだ。

 紫藤由香里が、突然苦しみ出した。

「おいっ、どうした」

 悟郎が手を伸ばして腕を掴む。彼女の腕はまるで熱湯のように熱かった。

 由香里が立ち上がる。

「ああっぁあああっ」

 苦しそうに叫び、喘ぐ由香里。

「おい、どうした由香里!」

 悟郎が由香里を抱きかかえる。

と、突然由香里が悟郎に噛み付こうとしてきた。

 由香里は、声にならない奇妙な唸り声をあげている。

 久我が無理やり由香里を引き剥がし、床に押し付けた。

 由香里は二秒ほど唸り声を上げ、そして意識を失ってしまった。

「医療班を呼べっ! 今すぐだ!」

「由香里を拘束具で拘束! その後、応急用の装置を用意しろ! 早く!」

 車内では騒然とした空気の中、少女だけが一人眠っていた。