第六話                         絶対の孤独

 

「とにかく頭を冷やせ」

 本部の医務室へと続く廊下。

 担架で運ばれる悟郎の横で、久我が言い放った。

 悟郎が何かを言いかける前に、集中治療室へ着いてしまった。

 扉が乱暴に開けられ、再び閉まる。

 扉の上部に設置されているライトが、赤く点灯した。

 久我はため息をついた。

 ポケットが震えた。久我がポケットに手を突っ込み、携帯端末の通話ボタンを押す。

「久我か、私だ」

「菊井沢さん、どうしました」

「どうしましたではない。たった今、瀧川が運ばれたと医療班から連絡を受けた」

「はい。今集中治療室へ入りました」

「何があった?」

「全体の流れは俺にはわかりませんが、悟郎のセーフハウスで狼血であると思われる男に遭遇、装備していたカノンを連射し、悟郎を連れて退避しました」

「狼血か。瀧川がやられるのも頷けるな。わかった、詳しい話は瀧川が回復次第訊く事にする。今日はご苦労だったな」

「了解しました」

 久我が通信を切った。

 廊下に設置されてある長椅子に深く腰掛け、久我は再びため息をついた。

 

 ベッドの上で悟郎は目が覚めた。

 グレーの無機的な天井が、壁が、悟郎を取り囲んでいる。

「……ミワ」

 呟いた瞬間、ドアが開かれた。

「シゲ」

 久我はゆっくりと部屋に入ってくると、ベッドの横の丸椅子に腰掛けた。

「どうだ」

「さあな。動けるのは動けるけど」

「体中に打撃による損傷はあったが、それ以外は奇跡的にほとんど無傷だそうだ。丈夫な体でよかったな」

「お前が言うか、それを」

 悟郎はにやりと笑ったが、久我は無表情のままだった。

「いくつかお前に聞きたいことがある。いくらプライベート中に起きたこととはいえ、事が事だからな」

「ああ」

 久我が悟郎を見据える。

「何があった?」

「お前の見た通りさ。あの狼血の野郎に襲われた」

「お前の言っていた、ミワとは誰だ」

「女さ。あの男が狙っていた。いや、あいつが狙っていたのは、俺とミワ、両方だ」

「――」

「あいつは俺を殺そうとしている。あの様子じゃあ、諦めちゃいない。いずれここを嗅ぎつけるだろう。ここを――お前らを巻き込むわけにはいかないがな」

「殺される理由は」

「悪いが言いたくない」

「……そうか」

「ああ」

「とにかく、その様子じゃ仕事もできないだろう。菊井沢さんには俺から言っておく。お前は、どうするつもりだ」

「どうするって?」

「そのままの意味だ」

「――」

「――」

「寝てるよ」

 悟郎は、目を逸らさない。

「……そうか」

 久我も、目を逸らさない。

「……何も言わないんだな」

「お前とは長い付き合いだからな」

 久我は立ち上がり、黙ってドアの方へ歩いていく。

「悟郎」

 久我は向こうを向いたままだ。

「生きてろよ」

 久我がそのままドアの向こうに消えた。

「シゲ、サンキュー」

 

 夜気の冷たさが、頬の傷を刺す。

 久我の言った通り、悟郎の体の傷はほとんど打撲等の外傷だけだった。すぐに歩けたし、軽い運動も難なくこなせた。

 ――仕事が無理だって?

 ――シゲのやつ。

 カズマは何処に居るのだろうか。

 悟郎は遠くに見えるネオンサインを、ぼんやりと眺めていた。

 ――やつは必ず来る。俺が今やつを探しているように、あいつも闇の中で俺の姿を追っている。

 悟郎が今いるのは、高い高層ビルの、屋上であった。

 いや、かつて高層ビルだった建物が廃墟となった、その、屋上であった。

 夜の湿った空気が、一層濃く、その空間に漂っている。

 悟郎はネオンから目を逸らし、そのはずれの、深い深い闇を見つめた。

 ――ミワはどうなった。

 それだけが心配だった。

自分を救ったばっかりに、絶対の孤独に追いやられた女。

 自分と一緒にいたばっかりに、苦痛を味わい、涙を流させられた女。

 狼血……文字通り血を分けた仲間から、常に追われる生活を強いられ、そしてあのカズマに見つかってしまった女。

 ――生きているのか、ミワ。

 正直悟郎にはわからなかった。

 全てはカズマの手に委ねられているのだ。いくらミワが優秀な戦士だったとは言え、あの状態ではカズマに殺されていてもおかしくはない。

 ――迫り来る影の恐怖。

 カズマはそう言っていた。

 おそらく、狼血の追っ手のことだろう。

 自分を殺すために、夜の闇の中で執拗に追いかけ、纏わりついてくる影。

 絶対の孤独を、より一層深める、真っ黒な影。

 耐えられるだろうか。自分に。

 誰かと話すことも、食事を共にすることも、寄り添って寝ることも、愛し合うこともできない。

 絶対の孤独。

 ――ミワ、何故お前は――

 

 その瞬間だった。

 一陣の風が吹き後、そこにそれは立っていた。

「待ってたぞ、カズマ」